前身チーム廃部ストーリー、パート2です。
温故知新(廃部編②) ~F・ビクトリー誕生秘話~

こんにちは、ビクトリースタッフの南です。
前話で廃部となる背景を書きましたが、今回もその続きを書きたいと思います。

 

2012年シーズンは最終シーズンとの前提から、新入部員の募集は今回が最後。そしてその新入部員も2年生も進級したら転部という形で始まりました。



私事ですが、その年はウチの下の娘が中学に上がる時で、娘も廃部になるソフト部に入るか、それとも陸上部に入るか悩んでいたようです。
私としては娘の決断を尊重しますので、しっかり娘には「やりたい部活に入ればいいんだよ。まぁお父さんはソフト部以外なら応援いかないと思うけど・・・」と伝えました。
結果、娘は日本人でした。しっかり「忖度」が出来る人という事でしっかりソフト部入りを決断してくれました(笑)。


 

さて本題に戻しましょう。
2012年になっても父母会はソフト部の存続を訴え続け、学校との話し合いを進めていきました。
そんななか、大井川中ソフト部最後の夏の中体連大会が始まりました。
チームは地区大会を順当に勝ち上がり、地区大会3連覇達成の力を見せてくれ、見事に県大会出場となりました。(お見事!)
※あ、書き忘れましたが大井川中ソフト部は大富中の選手1名を加えた合同チームでしたので、
 正式には「大井川・大富中ソフト部」が正しい表現でしたね。


その後の県大会での結果はあまり覚えていませんが、浜松の湖東さんに負けたんだんだったかな?
とにかく終わった時に「あ~、大井川中ソフト部の最後の夏がおわっちゃった・・・」と思った覚えがあります。

当時の大井川中学校では、県大会に行けるような力のある部活はソフト部だけでした。
そんな部活を学校は潰すのね・・的な話にもなりました。

それに関して学校側は少し譲歩の姿をみせ、「今の2年生が進級した夏の中体連まで活動したらどうですか?」との打診がありましたが。
しかしながら廃部の決定が覆った訳ではなく、結果として私達は新たにクラブチームを立ち上げる事を模索していく事を決断しました。


(つづく・・・)